聖護院御伽草子
序品之三
2017.12.06 *Edit
崖下の谷川は相当の流量がある、この谷筋の本流である。
川は進むうち徐々に勢いを増し、少し先で滝となって流れ落ちてゆく。
その滝壺の水辺には、上流の騒動と切り離されたかのように穏やかな空間が広がっていた。
川は進むうち徐々に勢いを増し、少し先で滝となって流れ落ちてゆく。
その滝壺の水辺には、上流の騒動と切り離されたかのように穏やかな空間が広がっていた。
水音だけが響くその場所に、1人の少年が滝を見つめて立っていた。
ツネ達よりも幼さが残るその風貌には、獣の耳も尻尾もない。
れっきとした人間の姿をしていた。
滝を見つめていた少年が、ふと滝壺から波紋の広がる水面に目を移す。
陽の光が水に反射するきらめきとは異なる、
不規則な輝きをそこに見つけ、少年はその光に引き寄せられるように水面に見入った。
まるで少年を誘うかのように、近づいては遠ざかりを繰り返す光。
少年は光を追い、着るものもそのままに、
魅入られたかのごとく水の中へと進み始めた。
初めは膝丈程度だった水も、
滝壺に近づくにつれて次第に深さを増し、
少年の腰辺りまでが水面下に沈む。
しかし、少年はただ揺れる光だけを見つめ、
迷う事なく滝の方へと近づいていく。
水勢に押し戻されそうになりながらも進み続ける少年を、
陽光を受けて虹色にきらめく水飛沫が濡らす。
水中でなおも輝き続ける不可思議な光に導かれ、
少年はいまや滝の直下近くまでたどり着いていた。
轟々と落ちる滝を目の前にしながら怖じた様子もなく、
まるでこれから滝行にでも入るのではないかと思わせる体の少年は、
しかしそこで違和感を覚えたかのように滝を見上げた。
少年の視線の先、滝の棚から大きな何かが空中にまろび出る。
誰が知ろう、それは先刻ウラが上流で落とした大岩であった。
渓流に押された岩は止まることなく川底を滑り続け、
今まさに少年の頭上に落ちかかろうとしていたのだ。
水に捕えられた身体には、迫る岩塊を避ける術も猶予もない。
あわや少年の命が瀑布に散らされようとした、
その刹那————
いつの間にか少年の側にまで寄ってきていた
あの不可思議な光が、にわかに輝きを増す。
光は跳ね上がるような勢いで流れを遡ると、
落ちてくる大岩と滝の中心でぶつかりあった。
光は渦巻くように内部に食い込むと、
次の瞬間には岩全体を粉々に打ち砕いていた。
撒き散らされた微細な岩片は、その全てがまるで自ら避けるかのように、
少年の体にかすりもせず滝壺へと落ちてゆく。
少年は爆発の衝撃と水飛沫に、反射的に目を瞑ってしまっていた。
少年が再び滝を見上げた時、その目に飛び込んできた光景。

それは先程の岩を砕いた光がまばゆい龍の姿となって滝上へ、
そしてそのまま天へと昇ってゆく姿だった。
少年が龍との一瞬の邂逅を得ていたその時。
ようやく恐怖と興奮が治まったツネとウラは、ゆっくりと家路に着こうとしていた。
「ツネ、なんだあれ?」
「どれ?」
「ほら、あの川の先の滝のある辺り。なんか光が空に向かって登っていくぞ?」
「本当だ。あれは……」
「龍?」
「まさか……」
そうは言いながらも、龍としか見えない不思議な光を、
ツネとウラはただ呆然と見つめていた。
三人がそれぞれの場所で龍を見上げていた頃、
タスクとユウは鬱蒼とした木の下で植物を見ていた。
二人は同時にふと何かの気配を感じて、同時に辺りの木の上を見渡す。
「誰かいる?」
「いないみたいです。気のせいでしょうか?」
「見られている気がした。」
「そうですね。ボクも感じました。」
その会話が交わされていた時、
あの滝にいた少年もまた何らかの気配を感じたかのように、
山の方に視線を移していた。
少しの間、空と山の境を見ていた少年だったが、
気配を探るのを諦めたのか、はたまた水に浸かっていて
体が冷えてきたのか、程なく水から上がる。
気配を感じたタスクとユウ、そして少年が見つめていた方角の先————
そこでは高木の梢から、何者かが五人の子供達を見つめていた。
枝葉の影に覆われて、その表情は間近でも判然としない。
ほんの少し緩められた口角は微かに笑んでいるかの様でもあったが、
その輪郭と視線はやがて、より深い森の闇へと溶け消えていった。
人と獣の容姿を併せ持つ者たち。
龍に導かれ、護られた少年。
その全てを見つめる影。
彼らの運命が交わる時、聖の草子に書き継がれる、御伽の物語が始まる。
(序品 終)
ツネ達よりも幼さが残るその風貌には、獣の耳も尻尾もない。
れっきとした人間の姿をしていた。
滝を見つめていた少年が、ふと滝壺から波紋の広がる水面に目を移す。
陽の光が水に反射するきらめきとは異なる、
不規則な輝きをそこに見つけ、少年はその光に引き寄せられるように水面に見入った。
まるで少年を誘うかのように、近づいては遠ざかりを繰り返す光。
少年は光を追い、着るものもそのままに、
魅入られたかのごとく水の中へと進み始めた。
初めは膝丈程度だった水も、
滝壺に近づくにつれて次第に深さを増し、
少年の腰辺りまでが水面下に沈む。
しかし、少年はただ揺れる光だけを見つめ、
迷う事なく滝の方へと近づいていく。
水勢に押し戻されそうになりながらも進み続ける少年を、
陽光を受けて虹色にきらめく水飛沫が濡らす。
水中でなおも輝き続ける不可思議な光に導かれ、
少年はいまや滝の直下近くまでたどり着いていた。
轟々と落ちる滝を目の前にしながら怖じた様子もなく、
まるでこれから滝行にでも入るのではないかと思わせる体の少年は、
しかしそこで違和感を覚えたかのように滝を見上げた。
少年の視線の先、滝の棚から大きな何かが空中にまろび出る。
誰が知ろう、それは先刻ウラが上流で落とした大岩であった。
渓流に押された岩は止まることなく川底を滑り続け、
今まさに少年の頭上に落ちかかろうとしていたのだ。
水に捕えられた身体には、迫る岩塊を避ける術も猶予もない。
あわや少年の命が瀑布に散らされようとした、
その刹那————
いつの間にか少年の側にまで寄ってきていた
あの不可思議な光が、にわかに輝きを増す。
光は跳ね上がるような勢いで流れを遡ると、
落ちてくる大岩と滝の中心でぶつかりあった。
光は渦巻くように内部に食い込むと、
次の瞬間には岩全体を粉々に打ち砕いていた。
撒き散らされた微細な岩片は、その全てがまるで自ら避けるかのように、
少年の体にかすりもせず滝壺へと落ちてゆく。
少年は爆発の衝撃と水飛沫に、反射的に目を瞑ってしまっていた。
少年が再び滝を見上げた時、その目に飛び込んできた光景。

それは先程の岩を砕いた光がまばゆい龍の姿となって滝上へ、
そしてそのまま天へと昇ってゆく姿だった。
少年が龍との一瞬の邂逅を得ていたその時。
ようやく恐怖と興奮が治まったツネとウラは、ゆっくりと家路に着こうとしていた。
「ツネ、なんだあれ?」
「どれ?」
「ほら、あの川の先の滝のある辺り。なんか光が空に向かって登っていくぞ?」
「本当だ。あれは……」
「龍?」
「まさか……」
そうは言いながらも、龍としか見えない不思議な光を、
ツネとウラはただ呆然と見つめていた。
三人がそれぞれの場所で龍を見上げていた頃、
タスクとユウは鬱蒼とした木の下で植物を見ていた。
二人は同時にふと何かの気配を感じて、同時に辺りの木の上を見渡す。
「誰かいる?」
「いないみたいです。気のせいでしょうか?」
「見られている気がした。」
「そうですね。ボクも感じました。」
その会話が交わされていた時、
あの滝にいた少年もまた何らかの気配を感じたかのように、
山の方に視線を移していた。
少しの間、空と山の境を見ていた少年だったが、
気配を探るのを諦めたのか、はたまた水に浸かっていて
体が冷えてきたのか、程なく水から上がる。
気配を感じたタスクとユウ、そして少年が見つめていた方角の先————
そこでは高木の梢から、何者かが五人の子供達を見つめていた。
枝葉の影に覆われて、その表情は間近でも判然としない。
ほんの少し緩められた口角は微かに笑んでいるかの様でもあったが、
その輪郭と視線はやがて、より深い森の闇へと溶け消えていった。
人と獣の容姿を併せ持つ者たち。
龍に導かれ、護られた少年。
その全てを見つめる影。
彼らの運命が交わる時、聖の草子に書き継がれる、御伽の物語が始まる。
(序品 終)
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