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聖護院御伽草子

二品之一

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「後鬼、龍神が昇ってくぞ」
「そうですね前鬼さん。あの方向は……確か、滝がありましたか」

 

子供達が山の中で過ごしている間、彼等とはまた別の者が空を見上げていた。

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山腹に佇む一軒家の前庭で言葉を交わす、二つの異形。
額から生えた二本の角に、筋骨逞しい体は人ならざる肌の色をしている。

その姿は、世人が「鬼」の名で呼ぶ存在に相違なかった。
鬼とは一般には横暴で残忍な印象を持たれる妖だが、赤色の肌の男鬼――前鬼と、
青色の肌の女鬼――後鬼が纏うのは、それとは縁遠い穏やかな雰囲気であった。

「何だか森の方に妙な気配もありましたし、今日は不思議なことが多いですね」
「あれなあ。多分奴だと思うが……」
「ええ。どうして今頃……」

二人が訝しげに話していると、森の奥から二つの人影が現れた。
狐の少女ツネと、犬の少年ウラである。前鬼は、彼等に親しげに声をかけた。

「おう、帰ったかツネ、ウラ」
「ただいま、父さん――」

ツネは疲れ切った口調で「父」に挨拶を返した。
種族は違うものの、ツネやウラたちにとって、前鬼と後鬼は紛れもない家族だった。
生まれて間もなく母獣に捨てられてしまった彼らは、命を落としかけていた所を、
山の見回りをしていた二鬼に拾われたのである。

物心つく前のことゆえ、子供達はそのことを漠然としか覚えてはいない。
成長する中で互いに種族の違いを感じ始めてもいるが、
両親の下で同じ時間を過ごし兄弟として絆を結んだ彼らにとって、それは些細な事柄に過ぎなかった。
兄弟としての順序は拾われた順に決まっており、ツネは長子で長女、ウラは第三子で次男である。

その長子ツネの様子がいつもと違うことを、後鬼は口調から敏感に感じ取った。
共にいるウラを見れば、彼はどこか落ち着かない様子で、
バツが悪そうにツネや自分たちから視線をそらしている。
何かあったのだろうと後鬼は察したが、あえていつも通り、ウラに優しく声をかけた。

「おかえりなさい。ウラはどうしたの? 元気がないようだけど」
「あー、母さん、ただいま……」

いつもはうるさいくらいのウラが生返事をしたのみで、それ以上自分からは喋りそうもない。
ツネには弟の気持ちも分かったが、黙っていてもますます心配されるだけの事である。
横目でちらりとウラを見てから、ツネは軽く溜息をついて先程の事の顛末を話しはじめた。

「……なるほど。ウラ――」

話が終わる頃にはウラの尾は丸まり、耳は伏せられて、
見ている方まで居た堪れないほど消沈していた。
最初は雷を落とすつもりでいた前鬼だったが、そんな様子を見れば声を荒げる気も失せる。
飽くまで軽く叱るための声を掛けようとした時、庭にまた別の声が響いた。

「ただいま帰りましたぁ!」

元気な声を上げて帰ってきたのは、彼ら家族のもう二人のきょうだい――
第二子にして長男である狸の少年タスクと、第四子で次女にあたる猫の少女ユウであった。

後鬼はウラのことはひとまず前鬼に任せることにして、戻ってきた二人の方へ向かった。
見れば二人して着物も顔も土塗れだが、両手いっぱいに何やら大量の草を抱えている。
そういえば二人は今朝出ていく際に、薬草を見に行くと言っていた。
その成果を嬉しそうに差し出してくる二人に、後鬼の顔も自然と綻ぶ。

「見て、母さん。薬草、いっぱい取れた」
「まぁすごい! ありがとうユウ。これなら、しばらくは何かあっても大丈夫ね」

ユウは普段からあまり感情を表に出さないが、今日は口調は静かながらも誇らしげだ。
尻尾をぴんと立てて薬草を手渡す次女の頭を、後鬼が優しく撫でる。
猫そのものの仕草で気持ちよさそうに目を細めるユウを、タスクは隣で見つめていた。
実のところ薬草の大半はタスクが見つけて摘んだものではあるのだが、
なかなか見られない妹の笑顔に出会えただけで、兄としては十分に報われた思いだ。

ツネもまた、その心温まる光景を穏やかな気持で見つめていたが、
叱られている今のウラには辛いものがあるのではないかとふと思いつく。
前鬼とウラを残し、後は家の中でやってもらうべく、ツネが三人を促そうと声をかけようとした時だった。

横手からガサガサと草をかき分けて、一人の少年が庭に姿を現した。
水が滴り落ちるほど全身ずぶ濡れになったその人間の少年は、
滝で龍神に導かれ、全身にその飛沫を浴びていた件の少年である。
それはツネ達五人きょうだいの末っ子、その人に他ならなかった。

「ワカ?! どうしたのその格好!」

いち早く気が付いた後鬼が、濡れ鼠になった末っ子に驚いて声を上げた。
その後鬼の声に全員が少年――ワカの方を向き、その様子に気付いて大慌てで駆け寄ってゆく。
健康ではあるものの、一家の中で比べればもっとも脆弱な人間の末っ子を、
一家の皆は過保護とも取れるほどに大事にしているのだ。

「ワカ! なんでそんなにずぶ濡れなの!」
「今日は雨なんて降ってないのに、どうした!」
「と、とにかく体を拭かないと!」
「風邪引く。早く中に……」

駆け寄った家族たちが口々にワカの身を案じる。
昔から不思議な雰囲気のある子ではあったが、雨でもないのにこうして
ずぶ濡れになって帰ってくるなどというのは初めての事だ。

周囲が混乱する一方で、帰ってきたワカ自身は家族が慌てる理由が分かっていなかった。
ちょっと滝に入って帰ってきただけなのに、なぜ皆こんなに驚いているのだろう?
分からないが、まずは帰って来てから最初にすべき大事なことがある。
ユウに手を引かれながら、ワカはとりあえず第一声を発した。

「えっと、ただいま」
「おぉ、おかえりワカ……って、そうじゃねーよ! なんでそんな濡れてんだよ!」
「ウラ、邪魔」
「何だよユウ!」

どこまでものんきな弟に対して、ウラは心配から来る興奮をもてあまして周りをあたふたと回るばかりだ。
直前の悄気げた様子からのあまりの変わりように、前鬼は思わず苦笑しながら、ワカに声をかける。

「落ち着けウラ。ワカ、川遊びでもしてたのか?」

ワカは黙って首を振り、ずぶ濡れの理由を話しだした。

「滝にいたんだ。そうしたら、水の中にキラキラがいて、
 追いかけたら上から大きな岩が降ってきて、キラキラがぶつかって壊した。
 そのあと、キラキラが空に飛んでった」

ワカの答えは要領を得なかったが、前鬼と後鬼は思わず息を呑んだ。
さきほど登っていった龍神の出現に、ワカが居合わせていた――
その意味するところを察して二鬼が顔を見合わせる中、
ウラもまた両親とは違う意味で息を呑み、青ざめていた。

「岩? まさか、あの時の……」

思わずつぶやいた自分の言葉が音として再度耳に入った瞬間、言い知れぬ悪寒がウラの背筋を走り抜けた。
ウラがいつも野山を走り回るのには、秘めた思いがあった。父である前鬼のように体を鍛え、
家族を――中でも自分より年少の二人を守れるようになりたいという願いである。
その鍛錬の過程で、自分が思わぬ怪我をするだけならまだ良い。
だが、故意ではないにせよ、他の家族を巻き込む事だけは絶対にあってはならない事だった。
だというのに、自分は――
 
急に黙り込んでしまったウラに、前鬼はふと気づいた。
見れば、その隣でツネも真っ青な顔をして地面に目を落としている。
前鬼はやれやれと息をつく。
ワカの話はいい薬になったようだが、少々効きすぎたようだ。
前鬼はまずウラに歩み寄ると、視線を合わせてしゃがみこんだ。

「ウラ、反省はしているな?」

前鬼の声に、ウラは静かに頷いた。

「お前の元気は、周りを明るくする。だが、一歩間違えれば危険なことだってある。分かったな?」
「うん……」
「もう少し、周りの声に耳を傾ける事を覚えろ。いいか?」
「うん」

ようやく顔を上げたウラの目には、いつもの元気がわずかながら戻っていた。
それを確認した前鬼は、次いでツネに声をかける。

「ツネも、そう気に病むな。お前はウラを守ろうと頑張ったんだろ」
「でも、止められなければ守れたことにはなりません。それにワカまで……」

言いながら、ツネの目には涙がたまり、今にも溢れ出しそうだった。
長子としての責任感の強さゆえだろう。
その態度は前鬼にとってはむしろ好ましかったが、だからこそウラや他の兄弟の前で泣かせるのはしのびない。
前鬼はツネの頭を、力任せにぐりぐりと撫で付ける。

「父さん! 痛いです」
「あぁ、悪い悪い。どうも、力の加減が難しいな……痛かったかツネ?」
「はい……でも、大丈夫」

前鬼の思いを知ってか知らずか、ツネの口調はしっかりとしたものに戻っていた。
涙も、もう滲んではいない。

「そうか。うん、大丈夫だな」
「……はい」
「活発なのはいいが、なかなか危なっかしい子達ばかりだからなぁ」

お前が頼りだ、と前鬼は敢えて口にしなかったが、ツネの表情が和らいだのを見るに、
言いたい事は伝わったのだろう。最後にぽんぽんと軽く頭を撫で、前鬼は立ち上がる。

そんな前鬼と二人の兄弟の様子を、他の家族は神妙に見守っていたが、
ワカが小さくクシャミをしたことで一気に現実に戻された。

ユウは再度ワカの手を引いて、家の方へ歩き始める。
弟の言うことはよく分からなかったが、なんにせよずぶ濡れはいけない。水は嫌いだ。
雨に打たれて、誰もいなくて、心細くて、ひたすら寒い、そんな記憶を思い起こさせる。
早く体を拭いて、暖めてやらなくては。
体調を崩して寝込まれでもしたら、縁側での日向ぼっこもしばらくお預けだ。

「ワカ、風邪」
「風邪じゃない」
「風邪、引く」
「引かないよ」

たどたどしい二人のやりとりに、タスクと後鬼が思わず顔を見合わせてクスクスと笑う。

「ワカ? ユウの言うとおり、風邪を引いたら大変。
 それに、タスクもユウもちゃんと体を拭くのよ? あちこちに泥がついてるわ」

ユウの頬の泥を拭った後鬼は微笑むと、板戸を開けて三人を家の中へと導いた。

「よし。それじゃ、飯にするか! 腹減ったな!」

快活に場を締めた前鬼の声に背を押され、ツネとウラもまた笑顔で後に続く。
五人の子供たちがみな家に入ったのを確認すると、前鬼は後鬼に声をかけた。

「なぁ、後鬼。食事の後……」
「そろそろ頃合い。ですか?」
「ああ。後で全員を集めてくれ」
「分かりました。準備しておきますね」
「あぁ、頼む」

それだけ話すと、二匹は子供達の賑やかな声に包まれている家の中へと入っていった。

仲の良い一家には穏やかな時間が流れていた。
しかし、そんな家族の知らない所で、穏やかな時間の流れとは程遠い、
不穏な空間が存在したのを一家は知るよしもなかった。

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