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聖護院御伽草子

二品之二

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所変わって、山の洞窟の奥。
奥行きも知れない闇に包まれた空間に、微かな炎が揺らめいている。
ぼんやりと照らし出されるのは、火を囲んで言葉を交わす幾つかの人影であった。

「さっきの気配、感じまして?」
「先程の気配? あぁ、あの龍神らしき気配のことか?」
「ええ。遠目から見ても、それは綺麗な龍が空へと昇っていったようですわよ」
「そのようだな」
「やはり、このような奇瑞はあの方のお力添えによるもの……流石ですわ……」
「……ちっ」
「きっと、お近くにはあのお方も……あぁ、ぜひとも近くで見たかったですわね……」

うっとりと何者かを想うように話すのは、娘のように見える一人。
姿と声こそ美しいものの、その言葉には不気味な熱があった。

「ふん。あやつがわざわざ出てくるものか。あやつの息のかかった者が出てきた、ということであろう忌々しい……」
「あら、龍神よりそちら? もしかして、嫉妬されてますの?」
「嫉妬だと?」
「ええ。後進ができるのではないかしら?」
「……ワシの知ったことではない。そもそも、嫉妬というなら、それは貴殿の事だな。
あれほどの力を持つ者となれば、それこそあやつの傍に侍っておっても不思議ではあるまい。
袖にされた誰かと違って、な」

挑発的な物言いで娘に返すのは、老人の姿をした影であった。
暗がりの中、娘の執着心を抉らんとして、その目が嗜虐的に輝く。

「そ、そんなはずがありませんわ!」
「どうだかな? そもそも、あの鬼どもなぞ、身辺の世話までしていたそうではないか」
「お止めください! あの忌々しい鬼達だって、勝手にお傍にいるんです……
勝手にあの方のお世話を……あの方は迷惑されてるんです!」
「貴殿らしい物の見方だな。まこと勝手なものよ」
「言っておいでなさい。貴方こそ、その余裕がどこまで続くか見物ですわ。
あれほどの格の神に気に入られるとなれば……ふふ、貴方との力の差は歴然……。
あらあら、貴方は何のために留まっているんでしたかしら?」
「黙れ小娘……!」
「まぁ怖い……」

娘が口にした「力の差」という一言に、やおら老人が腰を浮かせかける。
らしからぬ激昂の姿を見て、娘は口では恐ろしいと言いつつも、
してやったりとばかりに楽しげな声を漏らした。

とはいえ、険悪な空気ながら二人の語気に剣呑なものは含まれてはいない。
彼等にとっては、こうした挑発の応酬は毎度の事なのであろう。
老人はしばし娘に鋭い視線を向けていたが、やがて息をつくと立ち上がった。

「まぁ、いい。せっかくだ、少し挨拶でもしてやるとしよう」
「あら、直々にお出ましですの? 珍しい。
それならワタクシも行きますわ。あの忌々しい鬼どもが今度は何を企むのか、見届けなくては……」

娘も老人の後について立ち上がり、闇の中へと踏み出す。
しかし闇に溶ける寸前、娘は火の側に振り向いた。

「あぁ、そう言えば、あの鬼達が拾った『人の子』に、貴方は最近ご執心でしたわね。
その子とも少し遊んできてもよろしくて?」

娘が問うた相手は老人ではなく、影との境界で押し黙っていた別の人物であった。
問いかけられたその者は答えず、ただ微かに微笑むように、口元を歪ませた。



ふたたび、前鬼と後鬼の家。
食事の後、子供達は珍しく前鬼に呼ばれ、彼の前で居住まいを正していた。
普段とはどこか違う前鬼の様子に、一様に緊張の色がある。

「これから、大事な話がある。
まず聞くが、今日はお前たちに色々と変わった事があったな?」
「はい」

すぐに、ツネとウラは揃って返事をした。
思い出すのは、崩れた岩のこと、ワカのこと、そして特に、帰路に見た龍のこと。
深い山の中、妖の類との出会いはままあることだが、龍との邂逅は初めての事だった。

「ツネとウラだけじゃない。ワカも、だな?」
「うん? 変わったこと? 滝のキラキラ?」
「そうだ。お前が見た光は、水を司る神――龍神だ。
空に昇っていかれるのを、俺達も家から見ていた」

前鬼の言葉に、今更ながらウラが素っ頓狂な声を上げる。

「あの龍、神様だったのか!」
「ということは、龍神様がワカを守ってくださったってことだよね? 僕も見たかったなあ……
ずっと下ばかり見てたから気が付かなかったね、ユウ」

タスクの問いかけにユウは頷き、ふと思い出して付け加えた。

「でも変わったこと、ユウ達にもあった。薬草採った後、誰かに見られてた、気がする」
「ああ、そういえばそんな事もあったね。妖かしとかそういうのじゃない感じの。
どこからかは分からないけど、確かに変な気配があったかな」

二人の言葉に、ワカが小首を傾げる。

「タスクとユウも? ボクもなんだか、滝で変な感じがした。
その龍神さん? が昇ってった後、だったかな……」
「ワカも感じたのか? その変な視線ってやつ? オレ達そんなん感じなかったよな、ツネ?」
「うん。特にそういうのはなかったわね」

五人の何気ない会話に、前鬼は鋭く目を細めた。
やはり、子供達は目を付けられている。
となれば、迷っている暇はない。

「ますます、お前達に話さなくてはならないな。
お前達は、俺達が役小角という方の弟子なのは知っているな?」

子供達は、それぞれ父母についての記憶を辿った。
まず確かなのは、前鬼と後鬼は鬼でありながら、
山に行を修する「修験道」の行者であるということだ。

修験道とは、人々の自然や山に対する畏敬の念から発した教え。
その礎を作った人物こそ、役小角と呼ばれる行者である。

かつてはただの悪鬼であった父母は、修行中の役行者に出会って改心し、
以降は彼を師と仰いでいるのだと、子供達の誰もが寝物語に聞いて育ってきたのだ。

「お師さんだろ? 知ってる! いつも父さん達が話してくれる、すごい人だ!」

ウラが無邪気に目を輝かせる。
寝物語だけではない、前鬼や後鬼が物事を教えてくれる時にはよくその名前が出るため、
ウラも含め兄弟は皆、本人を知らないにもかかわらず親近感すら覚えている。

「俺達は、今もお師さんの下で修行をしている」
「修行、ですか?」
「そうだタスク、お前達が見てないところでな。
俺達はお師さんにならって、お前達にも遊びの中で修行をつけさせてきたが、
結果、お前達にもだんだん特殊な力が顕れてきている。今日一日のことは、みんなその兆しだ」

年少の兄弟は「そうなのか?」と言いたげな雰囲気で顔を見合わせるが、
ツネとタスクには腑に落ちるところがあった。
物心つく前から野山を駆け回る生活をしているが、
最近は風の音や草木の匂いの中に、見えない何かの存在を感じることが度々ある。
単に五感が鋭敏になったというだけではないその奇妙な感覚の正体は、そういうことだったのだろう。
二人は身が引き締まる思いで父の話に聞き入った。

「力ってもんは、正しく扱わにゃならん。よってこれからは、俺と後鬼でより実践的に、
お前達にお師さんの教えを伝えていく」

前鬼の言葉は抽象的ではあったが、その真剣な表情に、
今までとは違う何かが始まることは全員が理解できた。

「そこで、お前達に渡したいものがある。後鬼」
「はい」

前鬼が呼ぶと、奥から後鬼が衣類の山を持って現れ、前鬼の隣に座る。

「これから、あなた達が修行のときに身につける法衣を渡します」
「法衣?」
「そう、ツネ。お師様の教えを受けるための、正式な装束よ。
これに袖を通すことは、お師様に弟子入りするということ。
そのことを忘れないで、大事にしなさい」

いつもの優しい笑顔ながら、後鬼の言葉にもこれまでにない迫力があった。
ツネは思わず息を呑み、手渡された法衣に目を落とす。

第二話挿絵2es



法衣は柿色に染められた袴と上衣に、純白の手甲と脚絆。
漆で黒く固められた小さな椀に、複雑に組まれた縄のようなもので一式である。
どのように着けるのかは想像もつかないが、その衣体はどこか見た目以上に重く感じる。
法衣を持つ手に知らず力が篭り、ツネは生唾を飲み込んだ。

「それから、これが結袈裟だ」
「袈裟……真っ白な房。綺麗ですね」

抱えた法衣の上に前鬼が置いたのは、三又になった固い布のような品だった。
袈裟とは確か仏教の法衣で、首に掛けるものだったか。
ツネの知識では、それらは概ね薄い帯状のものだったはずだが、
この結袈裟には三又それぞれに綿毛のような純白の房が二つずつ付いている。
そのきめ細かさに思わず見とれていると、後鬼が懐かしむような口調で説明してくれた。

「ふふ、今は真っさらで綺麗だけれどね。この袈裟は修行を積んでいくと、
房の色がそれを付けた人の心根に応じてひとりでに色を変えるの。
どんな色になるかは私にも分からないけれど、きっとあなたたちそれぞれによく似合う色になるわ。
どんどん綺麗な色にしていってね」

後鬼の何気ない最後の言葉は、緊張感を持って聞いている年長二人には
少々の重圧となってのしかかった。謎めいた法衣と袈裟を渡され、
「修行」について実感が湧いてきたタスクは、思わず「大丈夫かな」と呟く。

「大丈夫よタスク。今は近くにはいらっしゃらないけれど、お師様はちゃんと見てくださってる。
 それに、お師様の傍でずっと修行してきた私達が直々に教えるんですから。心配しないで」
「そうだぞ? 厳しくいくから覚悟しておけよ?」

前鬼も後鬼も口調は変わらないが、これまでになく真剣な態度で自分たちに臨もうとしていることは、
ツネとタスクだけではなく、年少組にもそれぞれ感じ取ることができた。

今までのような、兄弟仲良く遊んだり、ウラのやんちゃに振り回されたり、
予測不可能な言動をするワカを心配したり、たまには衝突をしながらも、
穏やかに楽しく過ごしていた日常。それは、これから徐々に変わってゆくのだろう。

自分たち自身がこの先どうなるかは分からないが、
今は両親と役行者を信じて、身を委ねるほかない。
覚悟を確認するかのような両親の問いかけに、子供達は法衣をしっかりと抱きかかえ、
共に「はい!」と元気よく返事をした。

(二品 終)
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